syauto_sgsの日記(仮)

『スクスト』『スクメロ』が大好きな人のブログです。

魔法少女なつみのエピローグ!!!

追記:勢いで書いちゃった、感想垂れ流すだけの文章です。。。

 

馬場なつみさんのポコチャ会見(?)を見届けました。真剣自分語りあり、リア友降臨による黒歴史暴露大会あり、でとっても記憶に残るものとなりました。BGMのユートピアも素敵でしたね。

 

詳しい内容はまあアーカイブを見るなりwikiググるなりなんなりで調べてもらうとして、僕の感想としては、とっても勇気をもらいました!やっぱり、1人の女の子(お姉さん)が頑張る姿っていうのは本当に素敵です。自分ももっと、負けてらんないなぁというか、この世界にもっと貢献したいというか、ビッグになって愛(ラブではなくライク)を叫びたいとか、色々考えてしまいますね。ああ、ゲーム会社で最高のゲームを作りたい!「心動かされる経験」を次世代に伝えていきたい!

 

まあ、そんな自分語りは置いといてですね(いいじゃない語っても)、ここは『スクスト』と『スクメロ』が好きな人のブログなので、ばばなつみポコチャ配信を見て、なんとなくそれに当てはめてしまったことを書き記しておきます。この文脈で言うのはおかしいやろ〜というのもあると思いますが、まあテンション上がってる状態で書くので許してくださいw

 

1.Twitterなどのアカウントがなくなるけど、またどこかで新たに始めるから見つけてね!の話

隊長猫の転生を連想しましたねー!スクストの隊長たちは1回エテルノに舞い戻って来れた経験があるので、またばばさんのアカウントも見つけることができますよね!まあ今回はどっちかの記憶が無くなるわけではないのでちょっと話が別かな。どっちかというと、沙島茜が沙島悠水の生まれ変わり先であることに気づいたあの感じ?「お前…まさか…」みたいな。と言っても、馬場さんは多分ばばなつみのままなのでアピールすごいですし(時にはグイグイ来すぎちゃう?ってくらい)多分すぐ気づけますね!芸名も結局馬場なつみを使うみたいなこと言ってましたし(間違った情報だったらすみません)。今後も追い続けるぞ〜待ってろばばなつみ!

 

2.シンデレラストーリーの魔法が解けた感じな話

 

今回の放送で、上記のような表現がばばさん本人から合ったと思うんですけど(※2021年5月追記:ピクシブファンボックスでもそんな感じの表現があったかな~とも思うんですが、まあそこは有料コンテンツですし曖昧にしておきます)、これ、割とスクスト(広く言えば魔法少女モノ)に近いんじゃないかなって思うんですよね。魔法の力って、やっぱり借り物の力じゃないですか。結局のところ。あ。ここで言う魔法とは運の良さ、及びそれによって得た特別な立場のことを指します。

もちろん、馬場さんが水沢薫ちゃんの「お友達」になれたのは、実力(それとある程度の運)だと思うのですが。シンデレラも、元々美貌と勤勉さが備わっていたわけで。そこに魔法が加わり、王子さまと会うことができた。一回運良くその立場につけたから、魔法が解けた後も、王子さまと結ばれた。おそらく、魔法がなければなし得なかったことでしょう。ただ、再び結ばれ、幸せに暮らすためには、シンデレラはお姫さまとしての努力(勉強?特訓?)が必要で。

 

前置きが長くなりましたが、言いたいことは、魔法少女モノの良いところというのは、「物語・魔法が終わった後の少女に成長の兆しが見られること」だと思うんですね。ぼく、『時をかける少女』とかも広義の魔法少女モノだと判断しているんですが、非日常な能力に触れることで、日常の見方が変わる、みたいな、もっと日々目標に向けて頑張ろうと思える、みたいな感じです。超チューショー的ですけど。

スクストも、それこそフィフスフォースの力ってパトリの借り物で、自分のものではなくて。まあ平行世界の自分の可能性ではあるんですけど。それで、いつかエテルノでの暮らしは終わっちゃうわけじゃないですか。その後に残るものは何なのかなーって考えたら、「リクルートスーツ編」でサトカが言ってたような「人脈(綺麗な言葉でいうと「絆」)」と、あとは個人差があるかもしれませんが、「経験に基づく自信・胆力など」だと思うんですね。

何かをやった経験っていうのは、絶対にアドバンテージになると思うんです。それが形に見えるのが人脈で、形に出ないのが自信・胆力とか、ある程度技術とか、まあ総称して経験値と呼べるものですね。あ、このあたりは僕の思い込みを喋ってるだけなので、へーって流してくれて全然大丈夫です。

 

で、翻って、ばばなつみさんですが、21歳で業界の色んな人と繋がりがあって、かつ表舞台で必死に頑張ってきた経験があって、それでさらには中高(ちょっとの大も?)オタクとして「好き」を伝えるパワーを磨き続けた人は、そりゃもう圧倒的リードなのではないかと思うわけです。現に、後者の力で、底抜けの明るさがこっちに伝わってきて、いつも元気をもらっていました。今ももらっています。

もちろん、それは「基礎的なもの」と引き換えで得られたものなので、基礎がないといえばないのかもしれないのですが。(僕は声優さんの演技を基本的に何でもうまく聞こえちゃうので、評せません)

 

スクスト内のストーリー「コオリ☆プリズム」で、魔法を失ったコオリが、自力でアイドルを再び目指したように、経験を糧に目標へ突き進む女の子は強いなぁ、と思うわけです。

 

(流れをぶったぎる追記:名前出さない方が良いかもしれないからとりあえず控えるけど、某すばらしいSS書きの『伊緒と二穂の三十年計画』をみんな読んでくれ!!!)

 

まあつまり、魔法少女モノ(借り物)のエピローグ=アイドルモノ(自分自身の物)のプロローグということですね。今、馬場なつみの第2章が始まったわけです。まだまだ話が続くなんて、幸せかよ〜〜〜

 

 

まとまりなくひたすら思ったことを書き留めていったので、読んでもわけわからない文章になっていると思いますが。(気が向いたら整理します)

まとめると、以下の3点ですね。

 

1.勇気をもらったよ。僕もゲーム作る夢を追うね

2.馬場なつみの転生マジエモい

3.魔法少女なつみのエピローグは、アイドルなつみのプロローグ。経験は絶対にプラスになるんだよ!!!

 

ですね。現場からは以上で〜す。

スクストSS 「ほたるの決意」

pixivにupしているSSです。2年前に書いたものですが。ほたるの危うさが好きです。(悪堕ちが好きなもんで)

 

☆☆★

 

 

 こうなってしまったのは何がきっかけだったんだろう。
 いつまでさかのぼれば違う《現在いま》を選ぶことができたんだろう。
 もしかしたら違う世界のあたしはその可能性を掴んでいるかもしれない。
 でも……。

 

 あたしは、目の前に立ちはだがるチカちゃんに向かって叫ぶ。
「あたしは、この時をずっと待っていたの!一ヶ月も前から毎日毎日、夜も眠れなかった!なのに…どうして邪魔をするの!」
「それはチカも同じだよ!いくらほたるちゃんと言っても…。うん、絶対ほたるちゃんを倒してみせる!」
 チカちゃんの顔には、いつもの笑顔は見受けられない。真剣そのものだ。
 あたしたち二人は、戦う運命を強いられてしまったのだ。戦いたくない。けれど、戦わなくてはならない。そうしなければ、あたしは"あたし"を悲しませることになる。もちろん、それはチカちゃんも全く同じ立場なのだろうけれど…。

 

 あたしはいつも、誰かのために頑張ってばかりだった。
 例えば生徒会。ちょっと強引な部分はあったけど、最後は自分の意思で、学園の風紀のために、あおいさんや栞さんの期待に応えるために、入ると決めた。自分の頑張りで誰かが笑顔になることが嬉しかった。
 フィフス・フォースとしてもこれまで、この世界そしてみんなの笑顔を守るため、妖魔オブリを倒すんだ、平行世界の消滅を防ぐんだ、と頑張ってきた。

でも、その結果、"あたし"はどうなるの?"あたし"は、頑張った結果、どこかで倒れてそのまま死んじゃうの?それでいいの?
 最近、ふとそんな思いが頭をよぎった。
 もし、誰かと命を奪い合わざるを得ない状況が起きたとしたら、あたしは、相手のために、この"あたし"の命を相手に差し出せるだろうか…。

「ほたるちゃん、お願い!ここはチカに譲ってほしいの!」
「ごめんね。今ここで素直にチカちゃんに譲ったら、自分の気持ちに嘘をつくことになるかもしれないの…。だから、無理なんだ。」
「ほたるちゃんは、いつもみんなに優しくて、すごいよね。チカも、何回もほたるちゃんに助けられたし、すっごく感謝してるの。でも…あと今回だけだから!チカの笑顔のために、我慢してくれないかな!?次は、きっとチカが譲るから…。」
 チカちゃんの笑顔のために…か。

 

 誰かを笑顔にするため頑張るのって、良いことだ。だけど同時に、大変なことだとも思う。だから、たまには頑張ることをやめてもいいんじゃないかな。あたしは"あたし"を応援したい。"あたし"は、頑張りを受け取るほうになってもいいと思うんだ!
 そうだよ。"誰か"の中には"あたし"も入っているはずだよね。うん、これは、"あたし"の笑顔のための戦いなんだ!

 あたしとチカちゃんはお互いの表情を伺いながら、じわりじわりと近づいていく。どうする…?どうやって彼女を突破する…?
「あ!花火だ!」
 あたしが窓の方を指差すと、チカちゃんは思わずそっちを向いた。その隙にあたしは自分の部屋まで猛ダッシュして、逃走に成功した。
「花火なんてないよー!あ、ほたるちゃーん!もー!」
 チカちゃんの可愛い怒った声がチームハウスに響き渡る。



 …こうしてあたしは、最新号の「はにかみ」を真っ先に読むことに成功したのです!

『スクメロ』が僕達に残したもの 追記

スタート地点も一応載せますね。 

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 追記、というか、『スクメロ』を語るにあたり、なぜこの話を忘れていたんだのコーナーです。多分今後も追加していくと思います。

※2021年4月追記 文中のいくつかの表現を変えました。

 

○てけてんさんの『スクメロのお話』を見て思い出したことのコーナー。

 

★メイン以外のエピソードの話

 実は私、メイン以外のエピソードをほとんど読み飛ばしていたんですよね…。最初の一カ月で、スクストキャラとはちょっと違うような言い回しとかをいくつか見かけて、ちょっと自分には合わないかもな……と決めつけてしまっていたので。

 今回この一連の記事を書くにあたり、メインエピソードも第5章からなんとか一気に追いついたのでした。やっぱり作品のコアであるメインエピソードとは向かいあわにゃあ失礼だと思いまして。結果、何か見つけられそうな、でもまだはっきりと言語化はできなさそうな…な感じです。いい話ですよ。メインエピソード。

 今にして思えば、メイン以外のエピソードももっと読んでおけばよかったですかね。

 

★初めてアイドルという沼にハマった人の話

 その人は、私です。それまで、確かに「ももクロ」のドキュメンタリーや「ラブライブ」のインタビュー(だったかな?)にも興味を示す人間ではあったので、まあ予感はあったんですが、見事に「アプリコット・レグルス」によりハマってしまいましたね。詳しくは【2】の記事に書いたとおりです。

 知らない世界に踏み出せて、楽しかったです。誰か芸能人に手紙を出すということも、人生で初めてしました。ちょうど私の人生の大きな試練とレグルスの活動時期が重なったので、本当に「共に歩んでいる」感覚がしました。こっちの思い込みかもしれないですけど。

 レグルス、ありがとう。大好き。

 

○以下、また話題があれば追加していきます。

 

★★★

 

 あとがきがまだの方は、こちらへどうぞ。

 

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『スクメロ』が僕達に残したもの あとがき~旅の途中~

順番に読むと、よりお楽しみいただけます。

 

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★「終わり」と「続き」

 そういえば、過去にこんなことを呟いていたので、垂れ流しておきます。

 

【ポプストが終わる話】

ポプストはほんと最初の一時期だけやってすぐ離れてしまったんだけど、やっぱり、知ってる子たちの時間が(少なくとも公式サイドからは)止まってしまうというのは、すごく悲しい。

本来ゲームというのはエンディングを迎えるのが普通で、最近の「終わらないゲーム」というのが異常だと思う。異常だから悪いとかそういうことを言いたいのではなくて。始まりがあれば終わりも必ずあるのだから、ゲームはエンディングに責任を持たなくてはならないと思う。そういう意味で、聞いてる限りではポプストの「終わり方」は素晴らしいと思うし、スクスト・スクメロには期待と不安とが入り混じるよね、っていう話でした。まあ、「やってモーターカー」な事態じゃなきゃ、なんでもオールオッケーです。

 

逆説的な話、名作と呼べる物語はしっかり「終わり」を迎えることで、語り継がれるという「続き」を導いている…気がする

 

過去ツイートここまで。

 

★★★

 

 今、『スクメロ』の一つの終わりを見届けました。

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 しかし、『スクメロ』はこれで全て終わりというわけではありません。保存版アプリとなっても、彼女たちの歌は私たちを励ましてくれることでしょう。

さらに、「レグルス」として共に歩んだ、この世界に生きる5人の女の子。彼女たちの道は、まだ続きます。

 そして、『スクスト』としての世界はまだ繋がっています。もしかしたら、レグルスの彼女たちにまた会えるときがくるかもしれません。

 

 

 

それまでは、さよなら、そして、ありがとう。アプリコット・レグルス。

 

君たちの想いは僕達の想いにもなって。僕達の想いは君たちの想いでもあって。想いがつながって、いつか再び旅路が重なることを夢見て。

 

君たちは、僕達は、まだ旅の途中だ。

『スクメロ』が僕達に残したもの 【4】自分の気持ちとみんなのために

コピペだとでも思ったか?まえがきからどうぞ。

 

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 『スクメロ』のストーリーのお話です。申し訳ないですが、多分この項目が一番まとまりがない記事になっています。読みづらいと思いますが、想いを受け取ってくださると、嬉しいなぁ…(遠い目)。

 

★明佳里の成長のストーリー

 ストーリーは、明佳里たち5人が「アプリコット・レグルス」として成長していくことで展開していきます。様々なハードルをなんとか飛び越えていく明佳里たち。その中で特に焦点が当てられたのは、明佳里自身の内面となりました。

 明佳里は過去に、「みんなで思い出づくり」のために、アイドルグループとして活動していました。しかし、みんなを無茶させて、結果倒れる子が現れてしまったのです。そこで「本当は自分のためにみんなをわがままにつき合わせていたのではないか?」「ここまで無茶することはなかったのではないか?」という問いをぶつけられた明佳里。それ以来、アイドル活動から距離を置いていたのですが、『スクメロ』の物語の始まりと共に、再び明佳里はアイドルとしての道を歩み始めます。

 過去のトラウマは、随所で明佳里を立ち止まらせます。しかし、それを打破することになったのは、「自分のためにアイドルをやっていいんだ」「自分が楽しいからアイドルをやる」という良い意味での開き直りでした。そして最終的には、過去のアイドル仲間が応援に駆けつけてくれることで、明佳里は真の意味で過去の呪縛から解き放たれ、本当の輝きを放つことになります。

 また、物語が進んでいくにつれ、最初は「流されるままやっていく」というスタンス、つまり自分の意思を出しすぎないでいこうというスタンスだった明佳里(もちろん明佳里は元から積極性の塊なので、レグルスを結成するなど行動力抜群なのですが)が、終盤になると「レグルスのみんながすごいアイドルだって証明したい!絶対に勝ちたい!」と自分のため(そしてそれはみんなのためでもある)にもっと頑張りたい意思を見せてきたのが印象的でした。

 

★仲間の存在

 そして、その「勝ちたい!」という意思はみんなにも伝わり、みんなを無茶させてしまうのですが…。そこにあったのは、香澄と薫のグループの支えとしての存在。そして、先ほども述べた明佳里の過去からの解放。これらが合わさり、本当の「楽しさ」「かわいらしさ」を手に入れた彼女たちの気持ちは、一つになり、また一段と大きな星のように輝いたのです。

 香澄と薫だけでなく、真央と渚の存在も大事でした。トップアイドルを目指す真央という存在がいたからこそ、明佳里は高みを目指すことができたのだと思いますし、渚は、不器用で、現実的で、でもだからこそ、彼女の言葉と意志は、一番明佳里の心に響きます。

 

★ベタかもしれないけどまっすぐなストーリー

 こうして紡がれていったストーリーは、ベタと言えばベタかもしれません。前の記事の分類でいけば、「伝統」なのでしょう。といっても、私は『アイマス』や『ラブライブ』などのストーリーを詳しくは知らないので、伝統と言いきることはできないのですが…(『デレステ』をやってはいるんだけど、まだストーリーが第1章なんです)。ただ、「伝統」だからこその心温まる青春ストーリーはストレートで、レグルスの輝きが素直に伝わってくるのでした。

 

★もっと探っていきたい

 もちろん、ストーリーの細かいところは悪い意味で気になってしまいます(例:『スクスト』キャラが言わなそうなことを言っている、細かい誤字、など)。ですが、このお話の意義である「過去に一度アイドルを諦めた女の子」「自分のため?みんなのため?」「仲間という存在」に注目すると、もっと何かが読み取れそうな気がしているのです。今はまだ全て受け取りきれてはいませんが、今後はもっと探っていきたいと思います。

 ちなみに、込み入った話になりますが、私はこのストーリーを読んで『デジモンクロスウォーズ』の工藤タイキを思い出しました。特に漫画版(中島諭宇樹先生)はそこらへんの掘り下げもされているのでみんな読んでちょ(宣伝)。

 

★自分のための気持ちとみんなのための気持ち

 思えば、「『自分のための気持ち』と『他人のための気持ち』がごっちゃになる」というのは、「アイドルを応援する」というのでも同じなのかもしれません。レグルスを応援していると、「レグルス」が好きなのか、「レグルスを応援している自分」が好きなのか、よく分からなくなった時がありました。よく言うじゃないですか、「『自分がいる地下』から『メジャーどころ』に巣立っていったアイドルを見て、自分の愛情は消え失せてしまった『共に歩んでいる』ときが良かった」みたいなやつです。ただ、そういったことは実はよくある話で、あまり悩まないで良いのかな…とも今は思っています。そういうごっちゃなことを受け入れて、とにかく「応援するのが楽しい!」という感情を大切にしていけばいいのかなと思いました。

 

 この記事も、主観と客観をごっちゃにしたのはそういう節がありますし、自分と他人なんて、思ったより分けなくて良いんじゃないかな…と。「自分がそうしたいから」「レグルスのみんなのために」と、様々な感情を持ち合わせながら、書いています。

 ちょっとパーソナルな意識が出すぎてしまいましたね。自分でも何書いてるかわけわかめです。閑話休題

 

★★★ 

 

 まあそういうわけで、『スクメロ』のお話は良かったよ、という記事でした。

 ああ、言い忘れていました、「ストーリー」はフルボイスなんですよ。レグルス(3)のみんなも有名声優もみんなむっちゃ喋ります『スクスト』本編でやれ。レグルスのみんなの演技が上手くなっていく様子もまた、キーワード「共に歩む」の一つではないでしょうか。

 

 さて、あらかたのことは話し終わりました(何か忘れていたらゴメンナサイ)。

(追記)忘れていたので追記しました。(「追記」の記事の最後からでも、あとがきへ進めます)

 

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でも、もうちっとだけ続くんじゃ。

 

次回、「あとがき~旅の途中~」。

 

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『スクメロ』が僕達に残したもの 【3】伝統と革新を併せ持つゲーム性

良ければ、まえがきからどうぞ。

 

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 こんな大層なタイトルを付けてしまいましたが、『スクメロ』というゲームは一体どういうものだったのでしょうか。それを見ていきたいと思います。

 

★伝統的なシステム

 まず、伝統です。これはつまるところ、『デレステ』などのアイドル音ゲー界の先人のシステムをパクリリスペクトしたということです。

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 ロード中にはこんなのが出てきます。

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ホーム画面もこんな感じです。どっかで見た事ありますねぇ…。実際、『スクメロ』を始めた当初、『デレステ』など『アイマス』のあれこれに詳しかった友人に話を聞くと、「そっくりやんけ」と言われました。『デレステ』に触れてみた今、自分でもそう思います。

まあ、活かせるノウハウは活かした方がいいのでしょう。ちなみに開発は、本家スクエニと、『ガールフレンド(♪)』などで知られるアールフォースの共同となっています(https://www.r-force.co.jp/works)(アールフォースホームページより)。

このように、伝統的なシステムを用いることで、他のリズムゲームのファンも参入しやすくなるという狙いがあったのだろうと思います。それが成功したのかどうかはわかりませんが、いずれにせよ『スクメロ』は終わりを迎えます…。

 

★革新的なリズムゲーム

 続いて、革新の部分です。リズムゲームの中身は、やる人の度肝を抜くものでした(というのは誇張ですが、少なくとも私は驚きました)。そのゲーム画面がこちら。

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画像は『Southern Cross』の最難関EXPERT。全プレイヤーを苦しめた鬼譜面。

 このように、画面のあらゆるところにノーツが出現するのです。これは、テレビなどでやっている音ゲーのCMでも見た事ありません(私は)。あ、『スクメロ』自身のCMは別ですよ(『勇者ああああ』でよくやっていましたね)。『デレステ』の画像と比べても、違いは明らかですね。こうした画面をふんだんに使った音ゲーは、新鮮で、面白かったです。

 

★革新的要素の功罪

 ただ、こうした革新的な部分には弱点もありまして。そうです、あまりに一画面で処理するものが多いため、よく処理落ちするのです。ウーン、これは音ゲーとして致命的。私も軽量モードを試しましたが、それでも3D映像をバックにとなると落ちやすくなるのが現実。悲しいですね。

 一方で、忘れていないでしょうか、【2】で私が提示したテーマ、「共に歩む」を体現したものもありました。それは、この画面いっぱいのノーツシステムをふんだんに活用した、他には真似できない画面演出です。

 

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 とまあ、こんな風に美しい形が色々できるのです。特に2つ目の画像は、『オルヴォワール プラネット』という歌の中で、星(惑星というべき?そこらへん分かんないです)の形のノーツが現れるので、大変印象的です。リリース当初こそこのような譜面は少なかったのですが、月日を重ねるうちにこのような譜面が増えてきて、「すごーい!」と思うことが多くなりました。画像は出しませんが、『キミ、ボク、恋してる!』の最後のハート型とかも大好き(うろ覚えの記憶で話しているため、間違った情報かもしれません)。あ、言い忘れていました。「この画像一枚目とか、こんないっぱいのノーツ叩けないだろ」とか思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、「チェイン」、つまり並んだノーツを指でなぞってもプレイできるのです。プレイ中は、「タップ」と「チェイン」の使い分けがカギになってくるわけですね。ってなんで、サービス終了したゲームの説明をしているんでしょう私は…。

 

★★★

 

 そんなこんなで、これが伝統と革新でした。そういえば、伝統と革新という軸で見るならば、『スクスト』のキャラという「伝統」と、『スクメロ』から登場のキャラという「革新」と捉えることもできますね。いま思いついただけのことなので、だからなんだって話ですが。そういう意味でも『スクメロ』は伝統と革新の両輪で駆動していたのですね、ということです。

 

 さて、『スクメロ』のゲームには、ライブというリズムゲームパートだけではありません、もう一つの要素、ストーリーがありました。平行世界が描かれなかったということは【1】でもお話しした通りなのですが、このストーリーは「伝統」と「革新」のどちらに分けられるのでしょうか…?

 

 次回、「自分の気持ちとみんなのために」。よろしくどうぞ。

 

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『スクメロ』が僕達に残したもの 【2】2.5次元のアイドル

良ければ、まえがきからどうぞ。

 

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★徹底的な2.5次元アイドル

2018年、2次元作品の舞台(3次元)化などを意味する「2.5次元」という言葉は、世間に浸透しつつあります。この記事(https://www.oricon.co.jp/special/47672/)(「最近よく聞く“2.5次元”、その定義とは?」、オリコンニュースさん、2015年2月)がもはや3年以上前であることからも、最近もその歴史が積み重ねられていることがわかります。「テニミュ」や「µ’s」など、有名どころも数多くある分野です。

『スクメロ』は、アイドル戦国時代である今の世の中、この「2.5次元」という分野にも挑戦しました。具体的には、アプリコット・レグルス」の5人としてのライブや、イベント出演、ラジオ、さらにはTwitterアカウントまで作成しました。アイドル・2.5次元初心者であった私にとっては、2次元のキャラクターのアカウントが3次元の自撮りをアップロードしているという行為に、困惑というか、びっくらぎょうてんしました。おそらく、他の初心者の方もみんなそうだったのではないでしょうか。

今、『デレステ』に触れてみて分かることなのですが、『アイドルマスター』シリーズは、確かにライブなどは精力的に行われていますが、それは中の人との区別をつけてのライブであり、ここまでの2.5次元展開はなされていません(と思います)。また、「µ’s」と「レグルス」の自己紹介映像をググっていただければ分かると思いますが(怒られませんように)、前者はキャストとしてイベントに出演したりしていますが、後者はキャストの名前出ないんです!!あくまでキャラクターが3次元に出張しているんですね。それほどまでに、「アプリコット・レグルス」の2.5次元展開は徹底されていたのです。

 

★私も握手しました!

少し本筋から外れた話になりますが、彼女たちの活動の中には、駆け出しのアイドルだから(規模がそこまで大きくないから)こそできるもの、例えば、握手会や2ショット撮影などがありました。本当にアイドルって感じです。私も、ライブの際にレグルスのみなさんと握手をしたことをよく覚えています。「アイドルのライブ初めて来たんですよ」とか「すっごく楽しかったです!」とか私が言って、それに対して笑顔で「ありがとう~」と応えてくださったのが印象的でした。彼女たちは、まさに理想のアイドルでした。2次元の世界からやってきたかのような。自称オタクの私が言うので間違いないです(多分)。

 

★新たな興味、新たに知ったこと

さて、それでは、この2.5次元展開は何をもたらしたのでしょうか。

少なくとも私にとっては、「架空のものに身を重ねる、5人の女性」への親しみを覚えるようになりました。そう、2次元のキャラを前面に出すことになったからこそ、逆説的というのでしょうか、その中の人への興味が出てきたのです。

そうしたところで目にした、この記事(https://www.lisani.jp/0000063167/?show_more=1)(「『スクールガールストライカーズトゥインクルメロディーズ~』アプリコット・レグルスのインタビュー連載:レグルスのホンネのぞいちゃえ♪」、リスアニさん)。この中の人へのインタビューを見て、また、この頃から中の人のTwitterもフォローするようになって、知ったのです。自身の新たな境地を開きたい。歌姫になりたい。人の心を揺さぶる声優になりたい。ああ、彼女たちもまた「夢を抱いた女の子」なんだなぁと。

 

それから、『スクメロ』の楽曲がより深く私の胸に響くようになって、2次元のキャラクター5人と3次元の彼女たち5人が「共に歩んでいる」ことを感じるようになりました。

(追記9/13)そういえば、『神のみぞ知るセカイ』で知られる若木民喜先生が、「アニメじゃ、アイドルは新人がやるもの」とTwitterで発言したことがあったそうですね。ソースはアニオタwikiですが。中川かのんしかり、マクロスシリーズしかり、そうなんでしょうね…。この言葉の真意に近付けた気がします。

 

★「共に歩んだ」曲

特筆すべきは、初期からレグルスを支えてくれた、まさに「歩むこと」を歌う曲『Step!』と、レグルスのメンバー・篠宮明佳里の“お友達”である富永美杜さんが作曲した『Snow Planet』です。

『Step!』には、こんな歌詞があります。

 

瞳閉じた後 覚めたら消える夢より 目の前の

たしかな夢がいい つかめる夢がいい 恐れないよ

一度きりの奇跡だけで 終わる僕たちじゃないから

かたく手を握り返して 今日から明日へ 飛び込んでいこう

一度きりの奇跡じゃない 何度でも夢を叶えよう

僕たちが紡いだ想い 今日から明日へ ずっと続いていく

永遠はここにある

そうだ!夢は終わらない!

 

「夢」を掲げる3次元の彼女たちが、同じく「夢」に向かってひた走る2次元の彼女たちと自分を重ね合わせることに、私は心を動かされたのです。恐れずに夢を追い求める者の姿は、いつだって素敵です。

また、『Snow Planet』では、やはり中の人が作曲をするというのは新鮮でしたし、MIMORIさんと明佳里が手を取り合っているイメージが浮かびました。『スクメロ』の一つ目のアルバムのトリを飾る曲だったことや、ちょうど発売の季節が冬だったこともあり、何度も聴いたのをよく覚えています。

 

★「共に歩んだ」ファン、そして…

「共に歩む」といえば、【1】でも少しお話しましたが、ファンの方がたくさん盛り上げてくださったことは言うまでもありません。Twitterを見ると、いつも誰かのほほえましい声が聞こえ、素晴らしい作品が生まれ、本当に幸せでした。ありがとうございました。

 

そして、「共に歩んでいた」のは、彼女たち自身・ファンだけではないのです。この『スクメロ』というスマホリズムゲームもまた、道を歩む仲間でした。

私の話も折り返しです。次回のテーマは、「伝統と革新を併せ持つゲーム性」。

 

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