syauto_sgsの日記(仮)

『スクスト』『スクメロ』が大好きな人のブログです。

スクスト2I/Oの感想など独り言

 [面白い書き出しを考えたら後で追加するスペース]

 どうもおはこんにんは、シャウトです。いやー2019年も終わりですね、大掃除の季節ですね。何の?いやいや、感想に決まってるじゃないですか。エピソードVが始まってますます盛り上がる(らしい)スクスト2、これは今のうちにこれまでのスクストの感想を語っておかないとまずいなと。忘れないうちに文章に残しておかないと、と思うわけですよ。
 感想と言っても、ちゃんとした考察とかではなく、これは僕の僕による僕のための感想なので、読者の方に何か利をもたらすかどうかは分かりません。こればっかりは仕方ないね、感想を書くってそういうことやん?ただ、自分の中で整理したいという気持ちが湧いたので整理する、ただそれだけです。
 なお、この文章を書いている際の作業用BGMはスクメロのアルバムです。全部良きですが、最近は『Horizon』がお気に入り。
 あ、あと、設定を全部理解している自信はありません。だって難しいもん。まあそれがスクストらしさなんだけど。

 さて、いきなりですが本題に入ります。エピソードキラルのI/Oですが、面白かったですね。面白いか面白くないかで言えば間違いなく。スクストらしさはあるし、演出も良いし。今からあーだこーだ文句っぽいことも言うかもしれませんが、その前にこれだけは伝えたいということを。
 「次に高橋渉さんの作品が出たら、ぜひチェックしたいな」と思いました。そして、そう思わせたということだけでも高橋さんの「勝ち」だと思っています。僕は「やられた、惹かれた」の方です。大好きです。そうした前提で、以下あーだこーだ言います。
 I/Oですが、今までのスクストに比べて最も、なんとなく作者の影が透けて見えた気がしました。もちろん、スクスト開始時に比べたら、ネタバレが緩和されつつある流れがあり、それに沿い、石山さんや高橋さんがエピソードについて語る(例えば裏資料のやつ、あれはめちゃくちゃ良かった…)ことも多くなっているので、それも一因ではあるのですが。で、作者の影が見えるっていうのは、具体的に言えば、「付箋を動かして数字を作ってね!」とか「私に触れて!」とかそういうスクストらしいインタラクティブなことをしているときとか、あるいは、「最終話でブルーバックになってスマホをオーバーライトしてやったぜ〜」みたいなメタっぽいことをしているときとか。自分はスマホという媒体でスクストというアプリを実行しているんだと再確認させられます。またこれらは、「こんな演出をしたら驚いてくれるかな〜」という作者の声も聞こえたりしますね。まあ僕の作品の味わい方が斜め向いてるからなんでしょうけど。
 そもそもメタをするってときには作品から強制的に外に追い出されてしまうので、作者が見えがちなんですけど。今年で言えば映画のドラクエユアストーリーとかそうだったじゃないですか。ちなみに僕はこの映画好きなんですけど。ネタバレ食らってから見に行ったからですかね。劇場で初めてあれ見たら評価真逆だったかもしれませんが。
 ま、いずれにせよ、スクストを味わうときは多かれ少なかれメタっぽくなり、作者の影が見え隠れして(時には)興ざめしてしまうというのが僕の言いたいことなんですが、それを今までじゃあどうやって克服してきたかというと、エピソード1にその秘密があるんです。製作陣もそれを狙っているのかは知りませんが、少なくとも僕の中では。
 それは、「運命」を信じることです!!!
 …いや、「運命」といっても甘さと辛さが織りなすカレーパンのごときやつではないですよ。いやまあそうでもあるんですけど。
 ざっくりいうと、「スクスト」というものが架空のものではなく、実際に存在するものだと信じるということです。そして、作者はその世界を認知し代筆しているに過ぎないと。
 そんなん信じられるかわけないやろと思うかもしれませんが、僕はエピソード1で信じざるを得なくなってしまったんですよ。当時の僕(高1)は、小遣い稼ぎアプリでアプリをダウンロード&チュートリアルをプレイしては数円(分のコイン)を稼ぐ日々だったのですが(なんやそれ)、もちろん全部のアプリをスマホに残しておくことはできないわけです。大半のアプリはアンインストールしました。しかし、スクストだけは、偶然続けようと思ったのです。なぜかは分かりません。今でも覚えています。初めてやったイベントは2014年7月のプール開きでした。そして、四季のイベントをたくさん楽しみ、エピソード1のエンディング。自分がスクストだけ続けられた「理由」を教えられ、衝撃を受けました。それ以外に説明がつかないんです。本当はただの偶然なのだと思っていますが、でも、心の中の1%がエテルノの存在を信じ続けている。その可能性は絶対に否定されない。ならば、自分はその可能性を信じ、与えられた役割を務め、スクストを見届ける義務があるのではないかと感じました。
 これはいわば、「真のRPG」です。RPGというのはプレイヤーがゲーム内の主人公の役割を演じるというものですが、このスクストというゲームは、ゲームの外の僕そのものにも役割を与えてきた。僕そのものがいないと成立しない物語。これこそまさしく「新感覚スマホRPG」と謳われる所以だったわけです。ここでの大きなポイントは、「無意識下に」エテルノへ帰るという選択を僕がとったことです。
 では翻って「I/O」はというと、逆に「意識的」な役割が多かったと思うのです。まあ、大半のRPGがそうなのですが。ここで言う「意識的」というのは分かりやすく言い換えると、「ゲームに言われるがまま」という意味です。自分がこうすることがこの物語のエンディングに繋がる、そうしたことを意識しながらのプレイでした。プレイしていくうちに「マグカップをタッチしてください」って言ってるのは誰やねんという疑問にありついた感じですね。もちろんスクスト1(無印)の頃から、隊長のセリフの選択肢を決めているのは誰やねんとか、エピソード3の最初のキャラ選択(強い意志の介入)を促しているのは誰やねんとか、思いましたけど。まあつまり、作り物感を感じてしまった訳です。
 そのせいでか、結局最後まで「エーテル」を信じることができず、「申し訳ないな〜」と思いながらかなちゃんの柔らかそうな手に触れました。触り心地はかったいスマホでしたが。
 まーでも、物語を味わうゲームとしてはかなり面白かったと思います。僕が元々チャレンジングな作品が好きというのもありますが。いきなり自分のエーテル査定値が出る演出とか、10話から最終話になる演出とか、「キタキタキター!これからどうなんねやろ」って興奮するに決まってますよ。
 あと、シナリオのコメディバランスがちょうどいいんですよ。例をあげるなら「なぜマラカス」のとことか大好きで。そういった笑いと少女たちが背負う過酷な運命とが、良きギャップになるんですよね。自然な笑いが、彼女たちが生きていると思わせてくれます。
 それと、さっき書きそびれたんですけど、ミネルさまの笑い方がおかしい理由とか、好きです。僕、「人による」とか「無意識」とかで誰も気にしないようなことに意味づけをするのが大好きなんです。さっきの、スクストに出会ったという「運命」とかもその部類です。あとは『君の名は。』を例にすると、あれのラスト、「どこかで出会ったような、無意識に刷り込まれた誰か」に声をかけますが、これを見て僕も、こういうことが自分にもあるのではないかと「可能性」を感じました。例えば夢で見る女の子とか。今までは「夢だから」とスルーしていたものに、価値が付与された感じ?でしょうか。スクストは全体的に平行世界を扱っているので、こういう「可能性」によく触れられて楽しいですね。
 そういうわけで、作り物感を抱いて申し訳ね〜という話と、高橋さんのシナリオ好きだよ〜という話でした。
 もしかしたらもっかい読んでみたら、より「そこにいる」「絶対にいる」と信じられるかもしれないですけどね。こればっかりはプレイヤー側の心情とか経験とかにも影響されそうなので。

 ついでなので、鍵アカなどで言った感想も詰め込んでおこうかなと思います。
キラルの最終話配信時点での感想です。

ーーー
今、女の子の運命が僕たちに委ねられていて、議論が活発になって、どうすれば助けられるのか、どうすることが僕たちの責任なのか、その議論が活発になっている(気がする)
そうだよ、こういうのがもっと毎回観たかったんだよぉ…

でも、そうした議論のためには「選択をミスらない」という目的の共有が必要で。ただしこのキラルエピソードは「選択ミス」が明示されない。それがキラル全体の「なんかよく分からん」の原因なのかなぁ…って
もう他方を選んだら状況はどうなったか、そもそも何がみんなの幸せに繋がるのか…が分からん

正直僕にとっては、「なんか分からん」尽くしのキラルだったけど。
これって案外現実世界の人生もおんなじことじゃないかな…とか思ったり。
「選択肢を選ぶゲーム」というのは大抵その数だけの選択肢が存在し、まあ大抵の人は2周目で平行世界を体験すると思う(初見ビアンカ、2周目フローラみたいな)

一方現実世界は、選ばなかった方の世界を観測することはできず、結局自分の選択が良い方だったのかどうかが分からない。
まーそんなもんですよね人生って
何が言いたくなったのか書いてて分からなくなってきた
ーーー

 まとめると、キラルは平行世界ではなく一つの世界を描き、選択というものの重さを教えてくれているのかな〜という話でした。I/Oでもそうだけど、結局キラルでは平行世界がどうとかという話は描かれず、キラルの世界の話が終始されるんですよね(たしか)。いわば無印版スクストの対極にあるというか。あ、でも隊長がいる「現実世界」からキラル世界への干渉があるから一つの世界というわけでもないのか。ムムム、ややこしいぞ…

あと、最近気づいたんですけど、エピソードキラルもエピソード2も、「手を取り合う」話なんですよね。これについてはまだそれ以上気づいたことがないんですが…。思いついたらまた追記します。

まあそういうわけでとりあえず色々吐き出したりしたのでスッキリしました。そんなに新しいことを書けなかったのでそういう点ではモヤモヤしてますが、とりあえず「書かなきゃ」という衝動は実行できたので。

では、ようやくエピソードVを読むことができるので、行ってきます。まだ見ぬスクストの世界へ!